ここでは名作だと運営者が感じる映画を年代ごとでランキングし、掲載しています。
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劇中にヘプバーン自身が歌った挿入歌『ムーン・リバー』。よく聞く曲で、どこの誰の歌か知らなかったのだが、この映画を観たときに流れて、ある種の感慨を感じた。
世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの実話である。アメリカン・ニューシネマの一つとされる作品で先駆的作品として有名。この作品が他のアメリカン・ニューシネマと違うのは、やはり実話ベースだからである。
『007シリーズ』は1962年代から始まり、『ミッション:インポッシブル』よりも35年以上先輩の映画だ。ショーン・コネリーから始まって、ダニエル・クレイグまで。イギリス秘密情報部 (MI6) の工作員であるジェームズ・ボンドは、世の男性に『ジェントルマン』と『ダンディ』たる男が何かを教えてくれた。
目が見えない。それだけでとんでもないことだ。我々の脳が認識している一切の事物が、その人にはすべて無縁の存在となる。本、テレビ、人の顔、花、川、山、木々、ご馳走。子供たちが楽しそうに走り回る微笑ましい光景や、大自然の圧倒的で壮大な芸術に触れ、心が動くこともないのだ。
『クルエラ』の為に大人になって再鑑賞。たった80分の映画なのに、やはりとてつもない名作だったということに驚かされる。子供のころの自分に映画の価値や細部のクオリティなどがわかるわけがなく、ただ『目に入ってくる映像が、子供に分かりやすいか、受け入れやすいか』、『音楽が耳に残るか、怖くないか、中毒性があるか』など、そうした浅い考え方でしか観れていない。
スタンリー・キューブリックの名作の一つとして数えられるが、監督兼主演のカーク・ダグラスが大物すぎて、実際には思い通りには描けず、自分の作品とは認めていないという。しかし、その意に反して高い評価を受けている映画で、彼の経歴の傷には決してならないということである。
『トロイ』のアキレス、ギリシャのペルシャ戦争とペロポネセス戦争(スパルタ300人の伝説)と、アレキサンダー大王、ハンニバルとスキピオに、スパルタカスの反乱を経て、カエサルとクレオパトラの時代になる。ヨーロッパの歴史というのは数百年に一度は必ず歴史的な人物が出てきて、歴史の記録に大きな痕跡を残す。
観た後にいくつかの解説を見てようやく意味が理解できたくらいだ。もちろん、人間にそう行動させるキューブリックの意図があっただろう。これが1968年に放映されたということを考えたい。宇宙も、そして人の想像も、無限である。
オードリー・ヘプバーンの代表作の一つであり、最大のヒット作という今作。私はミュージカルが得意ではないのに、その私に『名作』のしるしを付けさせる実力を持っている。2016年に『マネキンチャレンジ』というマネキンのように動きを止める遊びが世界的に流行したが、その60年前の1964年のこの時代に、その先駆けのような奇抜で斬新な動きや振付が展開されている。
黒澤映画はよく『七人の侍』が挙げられるが、同じ三船コンビならこの映画の方が分かりやすくて面白いのではないだろうか。『羅生門』『蜘蛛巣城』などもいいが、分かりやすいのはこれだ。海外の人に前者が評価されているのは、専門家なら専門的な技術のことがあるだろうが、一般の人は恐らく『字幕』があるからではないだろうか。
オードリーヘップバーンの俳優魂が感じられる作品である。彼女は自由でわがままな女性や、気品ある王女、コミカルでリズミカルなミュージカルやダンスもそつなくこなして、容姿にかまけない才能の人だが、この映画でも更にその実力の幅を見せてくれている。
最初の20分ほどは、時代を感じる古臭く、陰気臭いイメージを感じるかもしれないが、それは人が死ぬからだ。実は、そこはあまり重要ではない。
1943年3月にチュニジア戦線で乗っていたスピットファイア機がドイツのメッサーシュミット機の機銃掃射を受け、パラシュートで脱出した後にドイツ軍の捕虜となったポール・ブリックヒルが、送られた捕虜収容所で体験した脱走計画が元になっている実話映画である。
「当時の誘拐罪に対する刑の軽さ」に対する憤りがこの映画を黒澤明が作った一つの理由だという。三船敏郎が『ワイルドな侍』の役ではなく、その逆で、洗練された東京のビジネスマンの役だから、最初は違和感がある。
戦前の米国映画は、「ボーイ・ミーツ・ガール」という典型的な法則に支配されていたという。
1916年のサウジアラビア。第一次世界大戦の真っ最中で、イギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスという人物が活躍していた。
11世紀後半のレコンキスタで活躍したカスティーリャ王国の貴族エル・シドことロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(Rodrigo Díaz de Vivar)の生涯を描いた作品。
黒澤明の日本映画『七人の侍』(1954年)の舞台を西部開拓時代のメキシコに移して描いたリメイク映画だ。音楽が印象的だから、この音楽で心躍るアメリカ人は、その後に作られる『マグニフィセントセブン』のエンディングでこれが流れたとき、鳥肌が立っただろう。
この映画が出たのが1967年という時代だ。60~70年代というのは、多くの黒人指導者が亡くなったわけである。
デュマの小説『モンテ・クリスト伯』を参考にしており、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の影響も指摘されている。
この映画は『アンハッピーエンド』の傾向になるアメリカン・ニューシネマの流れの中で作られたアンハッピーエンド作品とは違って、大きな力に逆らって作られた芸術作品である。
テーマ曲の、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。そして、「花嫁を結婚式の最中に、花婿から奪うシーン」というこの世界に完全に根付くことになる歴史的かつ伝説的な作品だ。
「侍ほど深い孤独の中にいる者はない。おそらくそれは密林の虎以上だ ――『武士道』より」
そのメッセージが現れ、アラン・ドロンが『フランス版の侍』を演じる。
第27回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、1966年にイタリアで公開されたこの映画は、アルジェリアのフランスからの独立までのアルジェリア戦争を描いている。
70年代前後にあったアメリカン・ニューシネマの代表作であるからして、その衝撃的な結末で知られる。それがアメリカン・ニューシネマの特徴だ。
この名作映画を観た時、(ロミオとジュリエットに様子が似てるな)と思ったので、その2つを『ロマンチックで危険な恋』というレシピで、セットで紹介していこうと今の今まで考えていた。しかし、今調べると、ウエストサイドストーリーの原作は、まさにシェイクスピアのその『ロミオとジュリエット』を元にした、レナード・バーンスタインの音楽による同名のブロードウェイ・ミュージカルだという。
性同一性障害は、性別不合と言わなければならなくなった。LGBT問題もかなり進んでいて、かつてイギリスでは同性愛者というだけで逮捕されていた時代があったが、現在ではその多様性を認めないと、柔軟性のない偏屈者として扱われる。
10代の頃に恩師から『音楽も前振りもなしに急に襲われるシーンがあって、本当に怖い』と聞いていたので、以前見たはずなのだが、内容を把握したのは今回である。とにかく人間は、映画も勉強も、主体性がなければ内容を理解することはできない。
1997年の、2度目に映画化された方を先に観ていたが、スタンリー・キューブリックの方が面白いかもしれないとして鑑賞。
スティーブ・マックイーンは『パピヨン』から観たこともあって異常に期待してしまっていたということもあるが、今この映画を観てもあまり通用しない印象がある。
1904年、日本は南下政策で不凍港を得ようとするロシアと衝突していた。日露戦争である。ロシア以外の列強は義和団事件で引き揚げたというのに、ロシアだけは残ったのだ。
ギャンブルについて描く映画は少ないので面白いが、特にこれといって『面白い!絶対に観てくれ!』と人に勧めるほどの内容ではない。
1839~1889年のアメリカを描いた映画で、歴史的にも勉強になる。インディアン、ゴールドラッシュ、南北戦争、西武の人たちの心境、鉄道、保安官、金の強盗など、当時アメリカにあったさまざまな歴史や問題の中で生きる家族の一生を描いた、叙事詩映画(壮大なスケールで人間ドラマを描くことに重きをおく映画のジャンル)である。
『続・荒野の用心棒』(ぞく こうやのようじんぼう、原題 Django)は、1966年のイタリアの映画。セルジオ・コルブッチ監督。
クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督作品のマカロニ・ウェスタン3作品の一つ。
2007年には「文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に登録され、『太陽にほえろ!』の製作の参考にもなり、映画に登場する最高のカーチェイスを選ぶ投票で1位に選ばれ、登場したフォード・マスタングGTが競売にかけられ、当オークション過去最高額の370万ドル(日本円で約4億円)で落札されたたという。
クリント・イーストウッド主演、セルジオ・レオーネ監督作品のマカロニ・ウェスタン3作品は『ドル箱三部作』と言われる。
1960年代に上映された映画を読み順で一覧にしています。