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『The 11th Hour』
ポスター画像出典:『Amazon』
この映画の感想文は、全3000作品の中で最も文字数の多いものとなっている。異例中の異例のため、他の記事とは一線を画すまとめ方となる。
『人類が作った映画の最高傑作』
私は3000本映画を観てきて、その感想を書いてきて、やれ実話じゃないとか、フィクションならもう少し派手にしろとか、実話でも脚色されているとか、実話だから信憑性があり考えさせられる等のことを散々書いてきた。よって、これがドキュメンタリー映画ではあるが、『実話映画』の『ガチ版』と捉えることができていて、これを『映画』として一つのくくりにに入れたい。またもちろんジャンル分けで、『ドキュメンタリー映画』として括ってもいい。
結論から言うと、この映画を超えることができる映画はないだろう。
『不都合な真実』
この映画が2007年に公開。そして、その前年にアル・ゴアの『不都合な真実』が公開され、2007年に彼がノーベル平和賞を受賞した、という流れの中で、『環境保全啓蒙活動に利益がある』という、何らかの意図があったか、なかったかとか、あるいはこの映画で『石油、石炭以外の代替えエネルギーを!』と訴えるので、エネルギー関連の何かを狙った意図があったか、なかったか、そういう裏事情も考えられる。他のエネルギー源の確保の為に、有権者から力を借りるためのプレゼン的な考え方だ。
例えば政治関連でこの映画が使われたなら、『あっちの候補者は、石油の企業と癒着してますよ!』とか。そこを攻撃するために、石油等の『粗』に的を絞って攻撃する、反対勢力が用意した資料だったかもしれない。
だが、そんなことはどうだっていい。私が積み上げてきた基礎が、この映画で訴えるメッセージが『本物である』と主張している。そういうことを度外視して考えた時、この映画の価値は『人間の資産』そのものに数えても過言ではなくなる。
私の知識・経験をフル稼働します
だがそれは、この映画が意図する内容に『プラス』して、私の見解を付け加えることが条件だ。つまり、誰かがふと口にしたことが、遥か昔の偉い人が言った事と同じ的を射ることが偶然あるように、この映画で訴えられたメッセージは、恐らく製作者の意図を遥かに超えた重みをもつことになった。
ヘレン・ケラーは言った。
ここに一つの記事を載せた。これは私が、
など様々な角度から『人間について』考え抜いた結果、導き出された記事である。この『IQ』というウェブサイトを通して『人間の専門家(偉人等)』と向き合って対話、内省し、『人は、この人生で何をすればいいか、どう死ぬべきか、神とはなにか』等のビッグ・クエスチョンについて、できる限り信憑性の高い答えを出そうとしたのだ。
世界遺産も日本のは全て見て回った(当時)。富士登山もした。別に行き過ぎた環境保全主義者ではない。どこにでもいる普通の感覚の人間だ。だが、私が他の人と違う特徴と言えば、
どうせ不法投棄もあるし、人間が創り出す建築物その他のこととか、もっと大規模なことがあって、俺が今ここでゴミをポイ捨てしたって、何も変わらないよ
と考えていたことである。これは何も私だけにある特別な感覚ではない。ある学者は『完璧主義者は、子供がいるケースの子供部屋において、部屋を片付けない傾向にある。なぜなら片づけてもすぐに、子供がまた散らかすからだ』と言っていたが、その通り、私はその完璧主義者なのである。
といっても『クソ真面目』ではない。例えば私が学んだその『人間の体』の中には鬱病に関する本も10冊以上あって、見ていくと鬱病になる共通点として『真面目で完璧主義』という要素が上がってくる。
だが私はその性格と同時に『手を抜くプロ』でもあるため、パンクする前に必ずガス抜きをして自分を大事にするため、そのような方向には行かないのだ。何ともまあ都合のいい、癖のある性格である。
https://www.pickup-movie.com/158-2/
また、この記事に書いたように『本当に真面目であれば気づける事実があるはず』ということがある。例えば、『1+1』の答えが『2』だと聞いたとき、人はそれをそのまま理解するはずだ。真面目に、淡々と、理解する。ふざけた子供がそれを茶化すイメージを持つ。しかし真面目な生徒は受け入れる。それならば、『真面目な人は、理解しなければならない事実を、そのまま理解できる』という図式が浮かぶわけだ。
だったら鬱病になってしまう人は、『人間について理解しきっていない』ことになり、それは=、真面目ではないということになる。
人は脆く、儚い。全知全能ではない。途中で休憩が必要だし、出きることは限られていて、色々と制限がある小さな存在である。それを過大評価したか、曲解したか、どちらにせよ、リンゴに限界負荷以上の負荷をかけたらリンゴが潰れるように、自分の心を潰してしまった人は、『勉強不足』ということになる。
私はこのような人間だ。ガス抜きをするから一見すると『不真面目』に見えるが、実は、ある精神の一部だけなら専門書にも書いていないレベルに達していて、この姿が実は一番『真面目』なのだと、考えている人間なのである。『守破離』というが、私はすでに『離』の境地にあるので、『守』という基礎を教える専門書には、当然私のような領域のところまでは書いていないのだ。
もちろんこの状態が『離』かどうか、それはあまり思い上がって人に話さない方がいい。人の為に生きれば、その分だけ負荷を負う。負荷がなく、身軽ということは、裏を返せば自分本位な人生を生きているということだ。この辺りのことについてはここではここまでにしておこう。後1万文字あっても足りない。
自然と人間の共生
さて、本題に触れていこう。だがまずは、私がこのような人間であるということを話しておかなければならなかった。基礎はたっぷりと積んである。そして完璧主義で、『人間』のことについて人一倍内省を積み重ねてきた人間だということなのだ。映画もたくさん見ている。
『人間が自然を枯らせば、資源は元に戻らない。だが、環境は生き残る。亡ぶのは人間である。』
このような真理に目を向けるところから、この映画は始まる。クリー族の格言にもこうある。
宮崎駿の名作『風の谷のナウシカ』はどうだ。この映画は世界自然保護基金(WWF)から推薦されている。この世界最大規模の自然環境保護団体は、生物多様性を維持しつつエコロジカル・フットプリントを減らし、総じて地球一個分の暮らしを目標とすることを掲げている。
エコロジカルフットプリントとは、『人間が地球を踏みつけた足跡』。つまり、環境をどれだけ破壊しているのかを一目瞭然にするためのデータがまとめられているのである。詳細は下記の記事に書いた。この映画のポスターをよく見ると、地球を人間が踏みつけて足跡が付いていることがわかる。
辿り着く『道』
私は完璧主義者だ。だからこのような壮大なテーマと向き合った時、辿り着くのは間違いなく『神』についてと、『世界平和』についてということになる。その正体はなにか。そして、それは実現するのか。
羽生善治は言った。
そういうことを考えるということは、『その場を掘る』ということに等しい。新渡戸稲造の本にも『自分をもっと深く掘れ!』というものがあるが、8000の名言を内省して浮かび上がった下記の記事にも、こう書いた。
https://www.pickup-movie.com/special/
『この黄金律はまるで、『核(コア)』のようです。地球のどの場所から、どの時代から、誰が、どのような掘り方で地面を掘っても、絶対に最終的に、この『核』に到達する。この様なイメージが強く頭に浮かびます。』
つまり私は、自分が人生で『気になっていることを徹底的に掘った』ら、その途中で宮崎駿やクリー族、そして、この世界の『偉人』や『専門家』と呼ばれる識者たる多くの人々と出逢い、意見が一致したのである。
この映画はわずか90分というのに、冒頭から速攻で『私が潜った深さ』までダイビングしてくれる。まず現れるのは地球が破壊されている映像と、『産道』に映る赤ちゃんだ。
私は先ほどの記事でこの『産道』についても触れている。そしてすぐに、『宇宙から見た地球』の話をしている。これもまた先ほどの記事のアイキャッチに載せている映像の話だ。エネルギーがある場所が光っている。『この視点』を持てるかどうかは、人間にとって極めて重要なのだ。
また、『人類は地球のリーダー』という重要なキーワードも出てくる。私がよくこのサイトで内省する時に使うワードだ。また、『シマウマの縞 蝶の模様』にある『マスター遺伝子』のような話も出てくる。エボデボ(進化発生生物学)分野のスーパースター、ショーン・B・キャロル教授が、DNAレベルのミクロサイズで、何億年という時間のマクロな単位でそれを紐解き、分析する。
『エボデボ革命の最初の衝撃が明かしたのは、複雑な形態をした動物は、見かけや生理機能の違いを超えて、どれもみな共通の『マスター遺伝子』という『道具箱』をそなえているということだった。ハエも小鳥も恐竜も、三葉虫も蝶もシマウマも人間も、その胴体や体の器官の形成やパターンづくりを支配する遺伝子群は同じということなのだ。』
全ての生命にある『マスター遺伝子』が、何十億個ものDNA配列の方向性の違いによって、その生命体に適した方向へとスイッチを切り替えて、生命のデザインが創られる。例えば、蝶の目玉のマークや、シマウマの縞は、外敵から身を守るための”擬態”が根幹である。その生命体に必要なDNA配列が、組み立てられるのだ。
また、糖尿病に苦しむ伴侶を抱えた人から推薦された本『あなたの体は9割が細菌』にあったような、『人間の細胞の90%以上は人間ではない』という話も出てくる。
基礎をある程度積み上げている私には、この映画で説かれる話の大体が、論理的に理解できるのだ。中学生の頃だったらもちろん全く理解できなかっただろう。だからこの映画がヤフー映画で『★2.5』なのは意味は分かるが、『過小評価甚だしい』のである。これは、『全人間が学生時代かなにかに、必ず観なければならない映画』なのだ。
そこに宗教的な要素や過激な要求はない。何しろ私がクリスチャンの親にキリスト教を強要されて育った。物心つく前から染められていたことを考えれば、言い方を変えるとこれは『洗脳』だった。私はこの洗脳から解放される為に強烈な『反抗』をしてみせた。部分的には常識から逸脱した私は『悪役化』されたが、俯瞰で見ると私は『洗脳を一人で説いた』極めて独立的な人間なのである。
であるからこそ、この映画で説かれている話が極めて重要だとしても、またあるいは冒頭に貼った『導き出した記事』が人間にとって極めて重要だとしても、私はそれを一切人に強要していないし、これからもしないだろう。『独立』というのは『独立の有意義さを理解している人間』だけが成れる境地だ。それなのに、他人の独立を阻害するような行為をしてしまうなら、そこにいる人は独立への理解が足りない人間だ。
この映画で、『人間は”未来”という概念を作った』とあり、『地球上で唯一現在の行動は未来に影響する』と認知するようになった、とある。それは脳科学を学んだ時に出てきた『リカージョン』という言葉とリンクする。その意味は、自分の脳で、自分の脳のことを考えること、あるいは、『無限』という概念を想像することを言う。
これが出来るのは地球上で人間だけと言われている。無限を理解できるということは、『有限』を理解できるということ。だとしたら、人間は、無限を理解し、有限を理解する、唯一の生きものである。
知力によって自然界からはみ出た人間
生き抜くために知性を磨き、有限を理解して命を大事にして生きながら賢く生きのびてきたはずの人間。それがいつの間にか、生命としての一線を超えてしまった。この映画ではこう説明をする。
『人間は知力によって自然界からはみ出た』
例えば、人間の”発明”は、進化して発達した脳を最大限に活かした、”偉業”なのだろうか、それとも、私利私欲に突き動かされた、傲慢な”罪”なのだろうか。これらの話をするとき、ジブリが生み出した傑作ゲーム、『二ノ国 白き聖灰の女王』に備えられている書物、『マジックマスター』にある短編集、『空飛ぶ機械』のストーリーを、書いておかなければならない。詳細は下記の記事に書いた。
私はすぐにこの記事の話を思い出した。それは当然、スタジオジブリの傑作『風の谷のナウシカ』が訴えるテーマと同じだからである。ナウシカたちが生きるあの砂漠は、『砂ではない』のだ。
その記事で男はこう言う。
『鉄と鉄の金属を混ぜ合わせて、もっとかたい金属を作れば、石だらけの土地でも耕せる。そうやって人々の暮らしが豊かになっていくのです。』
このことについて我々の世界では1800年頃にイギリスで生まれた『産業革命』とリンクして考えさせられることになる。冒頭で私のことを話した時に『自分本位』と説明したが、それは多くの人間に共通して当てはまる要素だ。人間は『楽、得、安全』に支配されていて、利己的で、想像力が足りない。だからこそ自分本位の枠を飛び越え、『人間本位』にさえなり得るのであり、いつの間にかこの地球で、一線を超えてしまったのである。
地球が許す人口とは
あの時代から確かに人間はこの星で劇的に技術を飛躍させることに成功した。その時から自然は『資源』に代わり、『資源は無尽蔵である』という根拠のない思い込みが、当時の彼らの心底に渦巻いていた。人間は最初、他の動植物同様『太陽光』のエネルギーに依存していた。だがそのうち、『それが貯えられた資源=石炭、石油等』の存在を知る。
人間の人口はわずか10億人だった。『世界人口』についてのwikipediaにもこうある。
国連や米国ワシントン大学の推定によると、西暦1年ごろは3億人、1500年ごろは5億人だったとされる。食料生産技術や医学、公衆衛生の発達が遅れていた時代は餓死や病死も多く、人口増加ペースは緩やかだった。
18世紀の産業革命以降に世界人口の増加ペースが速くなり、1800年には10億人程度に達した。そして、20世紀に人類は人口爆発と呼ばれる人類史上最大の人口増加を経験した。国連の推定では19世紀末の1900年におよそ16億人だった世界人口は20世紀半ばの1950年におよそ25億人となり、20世紀末の1998年にはおよそ60億人にまで急増した。特に第二次世界大戦後の増加が著しい。
1800年頃のその『産業革命』前には、10億人程度だった。だが、それ以降右肩上がりに人口が増え、100年後の1920年には2倍の20億人。そして、第二次世界大戦以降に著しく激増し、2022年現在、人口は80億人にすぐ手が届く数まで膨張してしまっている。
映画では専門家がこう言う。
『もし人間が太陽光だけを利用して生きていたなら、10億人が生きるくらいがちょうどだった。』
ここで暗に示唆されるテーマは、私が冒頭に載せた『導き出したもの』でたどり着いた結論と同じだった。
エネルギーの効率化
また、私はこの映画で、しかも感想文を書くために観ているこの二度目の鑑賞の際に『石炭等のエネルギー資源には、太陽エネルギーが込められている』ということを理解した。すると、兼ねてから記事にはしていたものの、理解はできていなかった下記の内容を理解することができた。
存命中は知らない人がいなかったとされるアメリカの天才、バックミンスター・フラーの著書、『クリティカル・パス』にはこうある。
生まれついての専門家という者はいない。どんな子供でも幅広い興味をもって生まれ、もっとも包括的で理にかなった適切な質問をする。暖炉で燃える薪を指さしながら、ある子供が私に質問した。
『火ってなあに。』
私は答えた。
『火というものはね、薪となった樹木から解き放たれた太陽なんだよ。自転する惑星地球に太陽の炎の熱の放射が届くにつれて、樹木も回転していく。光合成によって、樹木の緑色の芽や葉は、太陽の放射する光や熱を炭水化物の分子へと転換する。その分子は樹木の外側の緑色をした形成層の細胞の内で構成される。樹木とは、回転させると円錐を形成する四面体なのだよ。樹木の四面体状に延びる三本の根は地中に拡がって木をしっかりと固定し、水分を得る。毎年、外側に新しい層ができる緑色をした樹木の円錐体は、365回転する。そして毎年、樹木は新しい淡い緑色の細胞の円錐体層を、樹皮のすぐ内側、前年までの蓄積された円錐体層の外側に育てる。のこぎりでひかれた薪にあるたくさんの年輪の、それぞれの輪はその年の太陽エネルギーの蓄えなんだ。だから火とは、長年にわたって閉じ込められた太陽の炎がやっと樹木から解き放たれたものだ。薪の火がパチパチとはぜるとき、それははるか昔のある日、さんさんと降り注いだ日光を急いで放出しているのだよ。』
2022年現在、2015年の国連サミットで採択されたキーワード『SDGs』を口にする者が増えている。私は2010年頃からリサイクルの仕事をしていて、
動脈産業 | 環境を破壊して作る仕事 |
静脈産業 | すでに出ている資源を循環させる仕事 |
という考え方のもと、その仕事を完全に正当化し、会社を運営していた。もちろんこれは正当化で、自分の近くにあった仕事の良いところを見つけて、それを前面に押し出していただけだ。だが、幼少の頃から父親とキャンプをしたり、山を探検したりして兼ねてから環境保全には理解があったことは間違いなく、自然と共生することには何の抵抗もなく、むしろ真理であるという実感はあった。
だが、この本の作者バックミンスター・フラーという人物は、1895年生まれ、1900年後半にはもうすでに
- 太陽光を含めた自然エネルギーの活用
- サステナビリティ(持続可能性)のへの着眼
- 宇宙船『地球号』という視点
について見極めていて、しかも具体的な解決策を出していた。『SDGs17の目標』を見てみよう。
- 貧困をなくそう
- 飢餓をゼロに
- すべての人に健康と福祉を
- 質の高い教育をみんなに
- ジェンダー平等を実現しよう
- 安全な水とトイレを世界中に
- エネルギーをみんなに。そしてクリーンに
- 働きがいも経済成長も
- 産業と技術革新の基盤を作ろう
- 人や国の不平等をなくそう
- 住み続けられるまちづくりを
- つくる責任、つかう責任
- 気候変動に具体的な対策を
- 海の豊かさを守ろう
- 陸の豊かさも守ろう
- 平和と公正をすべての人に
- パートナーシップで目標を達成しよう
【出典:SDGsクラブ】
このうち、『5』のジェンダーレス問題以外のすべての問題は、この『クリティカルパス』を熟読するだけで解決する。こうした問題の根幹にあるものは、
『エネルギーをもっと上手に使い、賢く生きよう』
ということだ。
例えば、トイレをする。するとその時に発生する物理的なエネルギーでその家の電力が貯えられる。また、排泄物はそのまま畑の肥料に自動で回される。このように、『資源』と『エネルギー』を熟知し、それを効率よく使って循環型の生活を手に入れ、循環型社会を作ることはもちろん、持続可能な社会や、特定の人物だけが肥えていく不平等な社会に終止符を打つという話をしているのだ。
6500円もするこの分厚い本を、私はすべて理解できていないのだが、簡潔にまとめるとこの本は著者は、
『エネルギーをもっと上手に使い、賢く生きよう』
と言っているのである。
そしてこうも言っている。
人類にとっての宇宙エネルギーの収入はすべて、水力、潮力、波力、風力、植物が生成するアルコール、メタンガス、火山活動といった、われわれの重力と星(その99%が太陽)がもたらす宇宙の配当から成り立っている。人類の現在の総エネルギー消費は、そのエネルギー収入の割合から見れば1%のさらにその400万分の1にしかすぎない。
つまり、『人間はエネルギーを使うのが下手だよ。もっと効率的に使えばくらしは劇的に変化するよ!』ということなのだ。
人間の限界が引き起こす誤謬(ミス)
映画は続けて言う。
『石炭を燃やせば酸性雨が降る。化石燃料を消費すれば地球温暖化の問題がある。石油資産を守る為に中東に派遣している米軍の駐屯費用、その一部も結局我々にはねかえってくる。』
説明する世界の権威の一人スティーヴン・ホーキングはこう言う。
『人間活動の影響で最も深刻なのは、地球温暖化だ。化石燃料を燃やして発生するCO2の増加で起こる。干ばつや森林破壊はCO2の再循環を阻害する。海水温度の上昇は、海底にたまっているCO2の大量放出を引き起こす。北極と南極の氷の融解は太陽エネルギーが氷に反射して宇宙に逃げる量を減らす。これらがさらに気温を押し上げる。』
史上初『パレード中に卵を投げられた』大統領として名を残す問題児、ジョージ・W・ブッシュに負けた、紆余曲折第45代アメリカ合衆国副大統領アル・ゴアを特集した『不都合な真実』は、当時ドキュメンタリー映画としてはアメリカ合衆国映画史上3番目の興行成績を収めている。ただし、彼が主張する『温暖化』の話はこの『The 11th Hour』でも紹介されているように、まるで根拠のない宗教論争をするかのように、議論が行われているとして、展開される。だが、この映画では『温暖化は、確実にある』と、世界中の学者が意見を一致させていると断言。
『温暖化のスピード』とか規模についてもしかしたら盛っていたのかもしれないが、温暖化自体は存在するのだ。だからアルゴアがそれを広めて啓蒙活動をし、ノーベル平和賞を受賞したこと自体は間違いではないのだ。
続けて映画はこう言う。
『世界にはこれらの問題を解決する本がいくつもある。』
前述したフラーの本などもその一つだ。
『だが、法律がないから強制できず、実行されない。結果、少数の企業が多数の権利を踏みにじる。憲法ではそれが許される。』
アメリカは、『イラクが大量破壊兵器』を保有していいるとして、2003年に『イラク戦争(2003年3月20日 – 2011年12月15日)』を開始。この映画は2007年の、まさにイラク戦争真っただ中に上映されているということもあり、
『本当の大量破壊兵器は一部の巨大企業である』
と主張する。少数の企業が多くの権利を行使している。自然には使用権がない。だからそれを乱用しているのだ。コックピットに座っているはずの政府は『金・力』に弱い。越権行為はまかり通り続ける。自然は、年間35兆ドルの働きをしている。ある年の人間の総生産は18兆ドル。『地球のリーダーに相応しい有能な人間』である2倍の仕事を、自然は行っているのだ。
フラーの『エコハウス』の話は前述した。この映画の後半ではまさに『解決策』として彼と全く同じ系統の解決策を出す。『こうすれば現在の10分の1で済む』とか、『もしオフィスや街全体が樹木のように光合成を含めたあらゆる再生機能を持ったら?』とか。
このエコハウスの話だが、私は2011年3月11日のあの日以降、『家を建てるならエコハウスしかない』と悟って、知人の不動産屋に相談をした。しかし彼はその時こう言ったのだ。
『売ることを想定した方がいいよ。個性的過ぎると売れないから』
その話は的を射ていて、同時に的を大きく外していた。その時の私は感情的だから、『津波があった事実』や、それから間もなくして発表された長渕剛の散文詩、『復興』の歌詞等に逆らうように、真理だけを見るようにして、選択を間違えないようにしていた。
『憎い憎い私は 自然が憎い憎い 優しく 大きく 父のような海だったのに恐くて憎くてたまらない 許せない 絶対に許さない』
このように、彼の歌詞には確かに『当事者』たちにはひどく響くものになっているが、自然を敵視する考え方は真理から逸れているわけだ。ただもちろん彼の気持ちも分かる。あの地震を『自然からのメッセージ』と、当時を生きる人には口が裂けても言えない。2つの事実が同時に存在している。多くの命が奪われて、『それは当然だった』と言うことなどできない。
では、エコハウスの考え方は間違っているか。答えは、『真理の面から観れば正しい』ということになる。この考え方は現在の
- 電気自動車
- SDGs
等の『ほぼ蔓延しきった考え方』と全く同じ考え方だ。カロリーがゼロで同じ味ならゼロコーラを飲む。同じように走ってデザインも同じで、かつCO2を排出せずに地球を守るというなら、電気自動車を買う。同じ考え方で、エコハウスもいずれは全ての人間が取り入れることになるだろう。
だが、フラー同様、あの時期は『早すぎた』。あれから10年以上経った今、ようやくその考え方は少しずつパラダイムシフトされているが、
フラー | 1960~1980年代 |
The 11th Houer | 2007年 |
震災後の私 | 2011年 |
この記事を書いている今 | 2022年 |
もちろんフラーが先駆者ではないかもしれないが、必ずしも真理から見て正しい意見が、すぐに世界に蔓延して受け入れられ、浸透するということにはならない。
だから知人の言う通り、『リセールバリュー(すぐに売れてお金になる価値)』はない家だっただろう。少なくとも当時は。価値の分かるわずかな人だけに売れるが、その人が見つかる確率は低いわけだ。だからもし売って、新しく家を建てて、を繰り返したい人は、リセールバリューの高いものを考えた方がいい。車であればベンツ。時計であればロレックスのデイトナだ。
だが、100年も経てば恐らくほとんどの車が電気自動車になっていて、タバコすら吸っている人がいない可能性が高いように、真理から見れば『エコハウス』という発想は、サステナビリティのある社会づくりの当然の基礎として、人々の暮らしを支えていることだろう。
冒頭から言っているように私は極端なので、(じゃあどうしたらいいのか)という結論を考えて、フラーのように、
『人間全員がエコハウスに住めばいいんだよ!』
という、その解決策を知ると答えを知ったような気分になり、心が充足するところがあるのだ。車も、オフィスも、すべてを持続可能な計算された合理的なものにシフトチェンジし、産業革命以降盲目的だった部分を直視し、その上でそれを解決するような、そういう計算された答えがあると、(じゃあもうそれにすれば終わりだね!)ということになるのである。
人間の最高到達地点
いよいよ、この映画のメッセージの大詰めに入ろう。『人間がいかに生き方を変えるか』という本題に入る。最も重要なのはここだ。簡単に考えてみよう。人間が10人いたとする。うち、8人が
別に木なんて切ったっていいよ、また生えてくるし、無限にあるんだから!
と本気で思っていたとしよう。そして地球が今の10億分の1のサイズだとしよう。
地球に人間は住めなくなるだろう。
だが、10人全員が思慮深く、この世の真理を理解していて、このケースの場合は循環型社会、持続可能な社会の意味と価値を理解していたとしよう。
地球に人間は住み続けられるだろう。
それを我々の規模で考えればいいだけのことだ。人も要素も増えるから話は複雑になるが、核は同じことだ。人々が、自分を深く見つけ、愛を重んじて、他人を思いやり、地球を大事にする意識を持つ。そうすれば問題は解決するのだ、と映画はまとめる。
『部分の最適化だけが、全体の最適化につながる。』
かつて、PRESIDENTでどこかの社長が言っていた言葉だ。これはまさに、KDDI創業者の稲盛和夫がJALを再建させた時のそれと同じだ。
稲盛は、傲岸不遜に腐敗しきったJALの幹部を筆頭とした、社員一人一人に魂を吹き込み、そして企業は息を吹き返した。『アメーバ経営』、そして『稲盛フィロソフィ』である。
『アメーバ経営』とは、まさにこのこと。大企業の圧倒的な規模に生まれる隙を無くすために、部署ごとの『細部』を、企業を構成する『一つの細胞』だと考えて、その細胞に、主体性を与えて、管理させる。これによって、細部が活性化され、結果として全体の息が吹きかえった。これが、日本航空再建で行われた、真実なのである。
『稲盛フィロソフィ』は哲学。考え方の変換だ。つまり稲盛が『企業の再建』を世界版に変えて行うこと。それが、この『The 11th Houer』で訴えるメッセージなのである。
1.一人一人が自分を深く見つめ、愛を重んじて行動する
2.自分本位にも人間本位にもならずもっと対局を見れる人間になる
この条件をクリアすることができた時、持続可能な社会は守られ、人間もこの『宇宙船地球号』に永続的に暮らしていくことができるようになるのだ。
では、ここからが冒頭で言った『私が付け加える見解』である。ここで、冒頭に貼った記事の最後のページをここにリンクさせてみよう。
https://www.pickup-movie.com/license4/
この記事のタイトルは『『人生の免許』と『人が使うべき最強の自律ツール』とは』である。そこで私は
人間は4つの道を歩く必要がある。それは
- 産道
- 義務教育
- 専門的な道
- ブッダになる道
の4つであると書いている。
ちなみに『ブッダになる道』を歩くというのは『内観』をするということであり、私は無宗教である。詳しくは記事を観ると分かる。
この参考記事をこの映画に付け加えて考えてみる。奥行きは100倍以上に膨れ上がることになる。そもそも、『一人一人が自分を深く見つめ、愛を重んじて行動する』なんて、できるの?それができないからいつまで経っても世界平和は訪れないんじゃないの?
2022年ロシアはウクライナを侵攻した。人間は永久に過ちを犯し続ける。彼らがウクライナ人にしたことは、たとえどんな正当性を主張したとしても、許されることではない。
間違ってはいけないのは、この映画も私同様極端で、『大きく変わってしまった場所』や『今後の解決策』についての映像やイメージ図しか流していない。だが、この世界はもっと複雑で、後の9割9分は80億人近くの考え方の違った人間たちが織り成す過去から連続した社会がうごめいている。
例えば、ハリケーンや温暖化や氷河期。それから、予測しない隕石の衝突なんかもあるだろう。このような大自然の猛威は、本当にここで説かれているような生活態度に変えただけで、ゼロになるのだろうか。
いや、それは誰にも断言することなどできない。
だとしたら、最も求められているのはサステナビリティを意識してSDGsが守られた循環型社会、ということだけではなく、
『そうした社会を良しとし、かつ意識して維持していくべきだ』と認識していく人間
なのである。
同時に解決するもの
しかし80億人全員の意識改革何てできるの?っていうか、2020年に世界に蔓延したコロナのような問題は?たとえ温暖化問題を解決しても、感染して死んでしまったら意味ないんじゃない?様々な疑問が頭をよぎるだろう。
そこで『極端な発想をする私』の出番だ。では、どうすればいいか。たまに映画に出てくるように、『一度リセットすればいい』とかいって、テロを行うつもりはない。だが、冒頭で『産道』について触れたことの理由が、この記事で見えてくるだろう。後はこの記事に任せよう。
この映画は温暖化防止を説いた単なる専門家からのメッセージではない。地球にとって重大な問題を真理に従って入念に分析した結果導き出された、人類存続の為の解決策であり、人間が地球のリーダーであることを証明するための、叡智なのである。
そしてよく考えて見ればわかるが、この問題を解決するなら、同時に『世界平和を実現する』ことになる。要は、この映画ではそこに重点を置いていないから埋もれがちだが、この映画はとてつもなく重要なことを説いているのだ。そして私は更にその『意識レベルの上がった人間を作る為』の具体的な方法を記事にしている。『作る』というと物騒だが、しかし、私は断言する。
この方法しか、ブッダ(悟りを開いた者)のような意識レベルの高い人間を生み出す方法は存在しない。そう。かつての釈迦が、そうしてブッダになったように。
間違ってはならない。ブッダだけが、ブッダになれるのではないのだ。それは、無宗教の私がこの記事の最後に、力強く、主張しておく。
この映画の感想文は、全3000作品の中で最も文字数の多いものとなった。
最重要キーワード
- SDGsが打ち出された
- 10億人
- エネルギー効率
- エネルギー俯瞰視点
- 温暖化
- 宇宙船『地球号』の意識(もともとは境界線のない人間)
- コロナを止められなかった